丹後に残る伝説/丹後半島あれやこれや
丹後には、多くの伝説が残っています。 日本の渚100選に認定された小天橋

和泉式部伝説

 京都府の北部、丹波・丹後には、百人一首にもその歌が取り上げられていることでも知られる平安時代の女流歌人・和泉式部が訪れたといわれる地が多く残っています。
 和泉式部の夫である藤原保昌が丹後守に任ぜられ、国司として任地に赴いた時に和泉式部も共に丹後に下ったといわれているのがその元となるのですが、さまざまな場面で言い伝えが残っています。
 峰山町に伝わる和泉式部伝説は、保昌が丹後の守の任期を終えた後も丹後に残り海山の眺望を生涯の思い出としてこの国に優れた歌を残すように言われ、丹後の国にとどまりました。それを期に、それまで住んでいた板列の館を出て、吉原の里にある山祗社に7日間篭り、

 「あしかれと おもはぬ山の 峰にだに  多ふたなる物を 人の心は」

との歌を詠み、侍女の古里である吉原の里に隠棲した。次の国司である藤原兼房がこのことを聞き、吉原の里を訪ねたところ式部はたいそう喜び、大いに語り合った。
兼房は式部の話を聞き、いたわしく思い自分の館に誘ったところ式部もそれに応じた。そこで兼房は、山中の里に式部の閑居を建て、式部をそこに住まわせた。という話が残っており、この中に出てくる吉原の里は、現在の峰山町字吉原から字安にかけての地域であると言われています。

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