光秀が本能寺において織田信長を倒した際、忠興は逆臣の娘となった玉子に咎の及ぶことを恐れ、山深い味土野の地に隠棲させました。この時、身の回りの世話をしていた侍女・清原マリアの影響により、キリスト教の教えに目覚めます。秀吉がキリスト教禁止令を出すに先立ち、玉子は宣教師として洗礼を受け、ガラシャの名を授かりました。
秀吉の死後、忠興は徳川方につき、関ヶ原の戦いに出陣。石田三成はその間に、徳川方の奥方を人質にするため、玉子にも大坂城内へ移ることを求めましたが、玉子は「夫の命を待たずしては何事もできない」とそれを拒み続けました。そのため三成は玉子の邸に兵を差し向けて脅し、再度要求を申し入れました。
死を覚悟した玉子は白装束に身を包み、子女を屋敷から逃れさせた後、邸内に火を放たせ、家臣が突き出した刃に38年の波乱に満ちた生涯をとじました。
(辞世の句)
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
町内でも山深い須川・味土野(みどの)にある細川ガラシャ夫人の隠棲地『女城跡』は、別名御殿屋敷ともいわれています。
| 所在地 | 〒627-0102 京丹後市弥栄町須川 |
|---|---|
| 営業時間 | 特に明記無し |
| 定休日 | 特に明記無し |
| 駐車場 | なし |
| 料金 | 見学無料 |
| 設備 | なし |
| 豆情報 | 特になし |
| 主な行事 | 特になし |
| WEBサイト | なし |
| アクセス | 大きな地図で見る |